供養について
      大統寺住職 渡邊宗徹

 
先日、京都にある当寺院の本山に檀信徒三十名程を引率して団体参詣二泊三日の旅に出掛けました。本山で厳かに先祖供養の法要を営みましたが、同行した皆さんにはそれぞれの思いがあったのでしょうか、落涙する方がたくさんおられました。
この本山の管長を務められた、私の修行道場(僧堂)の師匠の七回忌のご命日がやって参りました。当時は逆の立場で本山に於いて、管長であった師匠と共に団体参詣の皆さんを本山でお迎えしたことが懐かしく思い出されました。大変厳しく何かと煩い師匠でしたが、今では有難いという感謝の気持ちで一杯です。それは厳しさの中に大きな愛情があったからだと思います。
その師匠の教えを忘れないようにと、書院の床の間に師匠の墨蹟を掛けております。その墨蹟には、雲水の托鉢の墨画に讃(さん:画に添え書きされた詩・文)が書かれております。修行中の思いを忘れないようにと、自戒の念を込めてこの墨蹟を毎日眺めています。この墨蹟を見るたびに修行中の出来事がいろいろと思い出されてきます。朝は三時か四時起床・消灯は夜の九時半でしたが、それから屋外で坐禅を組みますから、就寝は夜中になります。いつも睡眠不足の状態ですが、坐禅中に眠れば警策(けいさく)と呼ばれる棒で思いっきり叩かれます。朝食はお粥と漬物だけ、昼食と夕食は麦飯に一汁一菜の質素な食事です。お釈迦様が菩提樹の下で坐禅中十二月八日の明けの明星を御覧になり悟りを啓(ひら)かれた故事にちなんで、十二月一日から八日の一週間を一日と見なす「臘八大接心」(ろうはつおおぜっしん)という別名「雲水殺し」と言われる厳しい修行があります。この一週間は托鉢も作務もなく坐禅三昧で坐り続けるのですが、一日と見なすのですから横になって眠ることは出来ません。仏とは何ぞや、何故この道を進むのか自分で自分に問うと共に師匠からは参禅(禅問答)で一日六回程も厳しく問われ続けます。修行道場を出てきてもそれは卒業ではなく、新たな修行の始まりです。悟りにはまだまだ至りませんが、自分を磨き続けなければ私たちの明日はないと思っております。
師匠の命日の供養を本堂で行いましたが、亡き人を供養するはじまりは何時ごろからなのかと調べてみました。人類の祖先であるとされるネアンデルタール人の五〜六万年前のお骨がイラク北部のザグロス山脈にあるシャニダール洞窟で一九六〇年に発見されましたが、調査の結果、丁寧に掘られたお墓を氷河期の厳しい環境下にもかかわらず花で埋め尽くしてあったことが発掘遺物から判明しております。時を越えて、故人を弔い供養することは、どなたにとっても自然の姿だと思いますが、それは故人を供養して差し上げているのではなく、私たちが供養させて戴いているのであり、戴いていることの方が遥かに多い私達である事を知らなければいけないということだと考えております。
亡き人を偲んで静かに手を合わせれば、故人の生前の姿が思い浮かぶでしょう。良かったことも、そうでなかったと思われることもあるでしょう。それらの全てをそのまま受け入れて、その姿に自分の生き方と重ね合わせてみるのです。そして現在の自分の生き方を見つめて自分自身で点検し、これからどの様に生きていくのかを熟慮してみましょう。そうして、精一杯生き抜く力をそこから養うことが、本当の供養であると思っております。


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