ネパールと私

        大統寺住職 渡邊宗徹


 ネパールはインドの北端に接している小国です。人口は約二千万人程で、北は八千Mのヒマラヤの山々がそびえ、南は海抜ゼロMのタライ平原に面する王様の国ですが、世界の最貧国のひとつで海外の援助と観光収入が頼りの国です。

 政権が安定せず、反政府勢力が強大で国土の約半分を支配する状況が続き、夜間の外出禁止令が続いています。観光が大切な外貨収入のため外国人に危害を加えることを極力避けてはいます。

 インドと共に数少ないヒンズー教の国で、カースト制度が生きています。平和と人権を標榜したお釈迦様の生誕の地ルンビニーがありますが、ヒンズー教ではお釈迦様はヒンズーの神々のひとりです。仏教徒は人口の二割弱で、釈迦族の末裔を表わすシャキヤ姓をもつ人々がいます。三毛作で米が獲れても、政情不安もあり貧しさから抜け出せません。

 私がこの国と関わったのは財団法人全日本仏教会に奉職してからです。全日本仏教会は日本の伝統仏教の主な宗派と都道府県仏教会、仏教系各種団体が加盟し仏教はお釈迦様のみ教えの下で一つとの考えで全一仏教を標榜して活動しているわが国唯一の伝統仏教の連合体です。

 この全日本仏教会がお釈迦様の生誕の地ルンビニーを復興する事業に着手してから三十年余になります。この間、釈尊生誕地のお堂を再興するために旧堂を解体し発掘調査をしました。

 この調査でマーカー・ストーンと呼ばれる「印石」を発見したこともあり1998年にユネスコの世界文化遺産に認定されました。

 出土遺物を整理し資料を作りネパール側に引渡す仕事をネパール歴三十年の考古学者と行ったのは三年前の七月でした。ルンビニーは雨季で日中の気温が五十度でした。現地のネパール人を三十名程雇い二週間かけ遺物の整理と資料整備を行うことになりました。ところがネパール時間があり、約束の時間には遅れるのが通常で、朝は十時から夕方四時頃までが就業時間です。この暑さですし、もちろん冷房はなく、停電はひんぱんですから仕方ないことかもしれません。この作業を急ぐ必要があり、朝八時半から夕方六時まで休日なしで作業を行う必要がありました。同行した考古学者は無理だと言ったのですが、我々が率先する姿にネパール人たちも協力し十日程でほぼ作業が完了しました。彼等も事業の意義が理解出来れば、我々と同じに働きます。

 我々は未来永劫この地に居住するのではないので、彼等の生活環境を壊さない様に配慮しつつ対応しなければなりません。彼等の日当は百ルピー程(二百円弱)ですが、我々が飲む水は一本六十ルピーもします。この暑さの中なので、おやつにとジュースとお菓子(四十ルピー程)を用意すると、そっとしまって家族のもとに持ち帰ります。昔の日本でもそうであった様に、家族で分け合って食べるのでしょう。貧しいけど心は温かい人たちが多いのです。豊かさに慣れて私たちが置き去りにして来たものがここにあります。子供達は幼子を背負い物を売り遊び学びます。今となっては、私たちは手に入れた豊かさを捨てることは出来ないけれど、代わりに失ったものがどれほどかを考える必要があるように思います。

 言葉はあまり通じないけれど、思いを込めて真摯に対峙(たいじ)すれば気持ちは通じます。
この仕事で何度もネパールに行きましたが、昔の日本の姿を想像させられてほっとすることが多いのです。